「がっかり」の向こう側

がっかりしたことがあって、落ち込みました。
この落ち込み模様が複雑で、”がっかりした”そのものより、
自分が思いもよらず”がっかりした”ことにダメージを受けてます。
つまり”がっかりした”自分にも”がっかり”という二重のダメージです。
がっかりするって、その人に必要以上に期待しているということ。
でも私ががっかりしたその相手は、一度も会ったこともない、話したこともない、
たまたまネットでその活動内容を見ていて、知っているというだけの人。
ただ知っているというだけで、その活動を応援したこともない。
名前だけ知っているというくらいの、ほとんど領域外の人です。
その人が今回の震災で体調を崩しリタイヤして休養をとることになりました。
直接被災したわけでないけれど、この人のように流れ続ける報道で体調を崩してしまうことって、
今回の震災は特に多いようです。
その話を聞いて私は自分の中で何かがパリンと割れてしまったような、
得体の知れない焦燥感に襲われ、迷宮入りしました。
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そもそも名前だけかろうじて覚えている存在に、何でこんなにがっかりするの!?
何を期待していたのー!?
自分は人に期待しない性格だと思っていたのに、
いつの間にか
あの人はいつもみんなを励まし応援している。

だからこんなときこそ勇気と希望を伝播してほしかったんだよ!
という「思い込みの枠」にはまってしまったことに唖然とします。
すごい独りよがりな考えです。
人にはそれぞれ事情があって、休もうが、何しようが
それはその人の自由。善悪は存在しません。
私の”がっかり”のその向こう側にフォーカスしてみると、
リタイヤしたくても、リアイヤできない人がいるのに
そんな人から見たらリタイヤできるって、うらやましいだろうな。
という心理。
さらに焦点を合わせると、その人の痛みや心情に共感することない冷酷な視点と
実に巧妙な「すり替え」に行き着きます。
うらやましいかどうかはその人の自由で、その人の問題です。
私が感じる範中ではありません。実に大きなお世話です。
あー、リタイヤできる人をうらやましいと感じているのは自分なんだと、気づきます。
思いのほか弱っている私。
リタイヤ話をきっかけに、精神のバリアが薄くなっているところから、
内なる自分が急浮上したというわけです。
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友人にその話を漏らしたら、
その人の自由。休みたかったら休めばいいんじゃないの。って、
当たり前にシンプルな答えが返ってきました。
そうだよね、思い出してみると今まで私はそんな感じでシンプルライフだよ!
いま平気な人なんて、ひとりもいないね。みんな痛いよ。
だからみんな人を思いやる。
じぶん、ちょっと弱っているわー!と自覚できたので、
こんなときはバランスのよいご飯と、メタモルですわ^^
さっそく自分をケアします。
立ち直り、早っ!
リタイヤしたあの人に学びと祝福がありますように。
みなさんも無理せず、ボチボチですよー!
長くなりましたm(__)m

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